行き渋り?不登校サイン?見極めが難しい小学一年生
PTA参加のきっかけは、担任の先生の厳しさ。
小学校に上がりたての子どもなんて、いわば幼稚園や保育園の延長…
くらいに思っていた保護者の意識を打ち砕く、小学校の洗礼。
長女自身も叱られたり、クラスメートが叱られる場面を見ることで、すっかり学校へ苦手意識が芽生えてしまったようです。
じゃあ、小学校に行かなくていいよ
担任の先生がキツイというのは早々に分かって、ストレスサインも見えたので…
入学からまもなく独断で休ませたある日、そのことを報告すると家族から、
『進学する時に影響する、出席日数(内申点)もあるしなるべく行った方がいいよ』
『(厳しい先生の存在も)世の中には色んな人がいるって知る良い機会だよ』
と、言われてしまい、本人の将来や経験値(どれだけの人と関わったか?もココ)を考えれば正論だと思うのですが、
- 家に帰ると泣いている
- 怖かった場面を延々と話す
- 学校には行きたくないとキッパリと話す
こんな様子を見ていると、本当にその正論で子どもを見ていいのか、っていうか無理やりにでも行かす方がいいのか、分からなくなってしまいました。
学校へは、誰の為に行くの?
朝、特に泣いたりうろたえたりすることなく行ってくれると安心しますよね。
- 周りと同じ行動をして欲しい
- 学校が嫌だなんて言わないで欲しい
- 世間から、ダメな親だと思われたくない
そんな思いも相まって、正直なところ、みんなと同じ行動を取ってくれるとホッとします。
でも…
心のどこかでは、子どもが本音を言えなくなっているだけでは?とか、
ちゃんと向き合ったら、やっぱり行きたくないと言うんじゃないか?とか、
それとも克服したに過ぎないのか、確かめる自信が、実はありません。
本当は私も嫌だ
本音で言うと、私も学校へは馴染めない子どもでした。
分からなくてもどんどん置いていかれるし、1年生と3年生、それから高学年の時も虐められたこともありました。
それでも何とか大人になれた今、自由を享受し、強みを生かす生き方に恵まれています。
だから、学校で培った事…?ってなにかあるかな?状態なんですね。
もちろん好きな先生や授業はありました!
小学校に行かないとおかしな大人になるわけではないし、むしろ心を殺して生きてきた子どもが大人になることの方が問題になっているのは明白ですよね。
嫌がる子どもを学校へ行かせるということは、
- 嫌な目にあっていないか
- 辛いことはないか
そんなことを考えない時間は無いし、
帰りも、学校まで迎えに行ったりして時間のやりくりが大変で、正直、そうまでして行かせなきゃいけないのか…
と、思い始めています。
私もエネルギー不足を起こしているかな…
下校班のアレコレはこちらに。
同じ地域の子が遅かったり、先に帰ることでうちが一人ぼっちになったり、色々不安が絶えない日々をまとめました。
解決編もありますが、これがずっと最適解かは分からないままです。
小学校は親の負担が大きい…!
ママがイイの正体
長女のクラスには、朝、教室までお母さんに送って行ってもらっている子もいるそうです。
泣いてしまって分離が難しい様子を長女から教えてもらったのですが、長女も、
『本当は私もママと登校したい』
『というか学校にママが居ないことが嫌だ』
と、その親子の存在によって、長女の学校が嫌な気持ちを増幅させているのでは…
とも思ったのですが、これは完全に学校が原因だから起こることなのだそうです。
学校が安心できる場所ではないからこそ、お母さんと離れがたい
という、いわば生物の本能的な拒否反応みたいなものだそうです。
動物園の赤ちゃんたちだって、ママやパパや乳母のような存在に引っ付いたまま行動していますよね。
まだ展示場や人間の目に晒されることに慣れていなければ当然そうなります。
長女の話では、入学して3ヶ月でもまだまだそんな状態の子もいるようなんです。
そして、長女自身も…
不安の核
不安を曝け出すと、
- 小学校を不登校になる=落ちこぼれることを意味するのではないか?
- 勉強に遅れるのではないか?
- 友達が出来ないのではないか?
- まわりから、白い目で見られるのではないか?
といった具合に、長女自身の不安から、私自身の不安まで、入り乱れています。
長女は3歳の頃には文字が読めて、4歳には字を書いたり時計が読めたりしました。
努めてそうしたわけではないのですが、訊かれて答えて、知る喜びを早くから見い出す子でとても賢く…
あらゆることを学ぶのが楽しくて、年長児には漢字が読めたり書けたりして、九九の暗唱や簡単な足し算引き算も理解していました。
歴史や人体が大好きで、小学校に上がったらもっと沢山学ぶと意気込んでいたのに…
学校では年中の頃にやっていたような内容からスタートで、自分の関心のある話題に関心がある友達が一人もいなくて、
『学校は嫌なところ』
『よく分からないことで急に怒られる』
『楽しい話ができなくてつまんない』
と、よくこぼしています。
そして、
『学びたいように学んではいけないのはどうして?』
とか、
『もう知っていることを学ぶのは苦痛。自分が知らないことを教えて欲しい』
とも。
まだまだ私もわからないことばかりだし、長女の不満や不安に応えられていないまま、学校に押し込んでいるような状態です。
家に帰ってきたら本を読んだり好きなことをなるべく楽しんでいますが、やっぱり向き合い切れていないと感じるし、嫌な事(学校の時間)に取られて、好きなことが出来ない状態です。
- 我慢することが当たり前なのか、
- それとも別の方法があるのか、
- やっぱり学校に行くことが大切なのか、
私も探ってみようと思います。
実際に本格的な不登校にはなっていないので、それでお悩みの方には読み応えのない駄文で大変申し訳ありません。
なにか進展がありましたら、引き続き書いていきたいと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
参考図書
幼稚園時代、不登校になる子もいるんだなぁくらいに思っていたけど、まさか早々に手に取るようになるとは、不登校本。
子どもの心の声を聴くのは本当に難しくて、自分のために言っているだけでなく、パパやママのために…と考えていることもありますよね。
本音を言い合える関係でいるためには、まず自分がよく知っていないといけないんだなぁと気付かされました。
そしてもし、本当に学校を行かなくなったときにために相談先や居場所を見つけておきたいなーとも。
不登校(フトウコウ
というと聞こえが悪いけれど、環境や学びを選択した結果の
否登校(ヒトウコウ
は、高校生の間に広がっているようですね。参照:ベネッセ
小学生でもぜひ、学ぶ環境が選べるようになるといいなぁ
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